大阪地方裁判所 平成3年(ワ)4089号 判決 1996年7月17日
(第四〇八九号事件)
原告
荒木輝男
同
稲岡次郎
同
牛尾近次
同
梅津始
同
梅村久基
同
江端一起
同
大沢俊郎
同
北川敏雄
同
木本和宏
同
塩浜勇
同
竹中昭矩
同
多田善則
同
妻鳥紳三
同
中塚俊雄
同
長綱佳代子
同
長綱弘志
同
中村義彦
同
仁田勇
同
本多敏美
同
三木謙吾
同
宮本博志
同
室垣哲男
同
山内充江
同
山田昌平
同
山田正博
同
横川出
被告
国
右代表者法務大臣
長尾立子
(第一〇二九二号事件)
原告
下司明
同
藤田圭右
同
森本英夫
同
村山晃
被告
吹田郵便局長
土井章
同
国
右代表者法務大臣
長尾立子
(第一〇九号事件)
原告
荒木輝男
同
稲岡次郎
同
牛尾近次
同
梅津始
同
梅村久基
同
大沢俊郎
同
北川敏雄
同
木本和宏
同
塩浜勇
同
竹中昭矩
同
多田善則
同
妻鳥紳三
同
中塚俊雄
同
長綱佳代子
同
長綱弘志
同
中村義彦
同
仁田勇
同
本多敏美
同
三木謙吾
同
宮本博志
同
室垣哲男
同
山内充江
同
山田昌平
同
山田正博
同
横川出
被告
高槻郵便局長
安田正孝
同
神戸中央郵便局長
都田和朗
同
灘郵便局長
木村勝英
同
長田郵便局長
赤井憲二郎
同
姫路郵便局長
大江幸夫
同
芦屋郵便局長
竹野悦司
同
加古川郵便局長
北住公一
同
東灘郵便局長
田辺馨
同
高砂郵便局長
藤原三千男
同
三田郵便局長
佐野吉男
同
左京郵便局長
橋本清
同
西陣郵便局長
笹尾由則
同
伏見郵便局長
熊倉徹
同
山科郵便局長
森康至
(第四八号事件)
原告
一井不二夫
同
井筒隆夫
同
伊藤雅啓
同
大澤靖志
同
河野守
同
下司浩
同
児玉誠一
同
鈴木勝泰
同
鈴木幸夫
同
高橋伸二
同
竹内豊夫
同
中田良雄
同
広田秀夫
同
弓削利之
被告
大阪城東郵便局長
前田昌善
同
吹田郵便局長
土井章
同
神戸中央郵便局長
都田和朗
同
東灘郵便局長
田辺馨
同
京都北郵便局長
上田文男
同
山科郵便局長
森康至
同
国
右代表者法務大臣
長尾立子
(第二六号事件)
原告
家門和宏
同
酒井満
同
浜田和二
同
平田秀子
同
藤原正美
同
増田兼一
同
山本晃
被告
豊中郵便局長
北村清太郎
同
伏見郵便局長
熊倉徹
同
加古川郵便局長
北住公一
同
灘郵便局長
木村勝英
同
京都簡易保険事務センター所長
大森義夫
同
東灘郵便局長
田辺馨
同
左京郵便局長
橋本清
同
国
右代表者法務大臣
長尾立子
(第五七号事件)
原告
今川治
同
浦崎香
同
瀬川勝
同
仲井幸生
同
山下伸生
同
小田諭
同
笹部昌己
同
濱田佳美
同
東本栄次郎
同
堀川明伸
同
松岡幹雄
同
折口晴夫
同
角山徹
同
三枝一雄
同
横尾脩一
被告
吹田千里郵便局長
大谷美義
同
豊中郵便局長
北村清太郎
同
西宮東郵便局長
小幡迪夫
同
長田郵便局長
赤井憲二郎
同
西陣郵便局長
笹尾由則
同
姫路郵便局長
大江幸夫
同
国
右代表者法務大臣
長尾立子
(第七一号事件)
原告
冨田康夫
被告
神戸中央郵便局長
都田和朗
同
国
右代表者法務大臣
長尾立子
原告ら訴訟代理人弁護士
中北龍太郎
同
永嶋靖久
被告ら指定代理人
一谷好文
外九名
主文
一 原告らの被告国を除くその余の被告らに対する本件各訴えをいずれも却下する。
二 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 申立て
(第四〇八九号事件)
一 被告国は、原告らに対し、それぞれ別紙一覧表各原告氏名欄記載の原告に対応する減額金合計額欄記載の各金員及び平成三年六月一日以降同原告らが在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の各金員を支払え。
二 被告国は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成三年六月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第一〇二九二号事件)
一 被告吹田郵便局長は、原告らに対し、それぞれの勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
二 被告国は、原告らに対し、それぞれ別紙一覧表各原告氏名欄記載の原告に対応する減額金合計額欄記載の各金員及び平成三年一二月一日以降同原告らが在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の各金員を支払え。
三 被告国は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成四年一月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第一〇九号事件)
被告高槻郵便局長は、原告竹中昭矩及び同妻鳥伸三に対し、被告灘郵便局長は、原告荒木輝男、同大沢俊郎、同塩浜勇、同長綱佳代子、同室垣哲男、同山内充江及び同山田正博に対し、被告伏見郵便局長は、原告山田昌平に対し、被告山科郵便局長は、原告横川出に対し、被告左京郵便局長は、原告多田善則及び同梅津始に対し、被告西陣郵便局長は、原告梅村久基に対し、被告左京郵便局長は、原告多田善則及び同梅津始に対し、被告姫路郵便局長は、原告稲岡次郎及び同中塚俊雄に対し、被告加古川郵便局長は、原告牛尾近次及び同本多敏美に対し、被告東灘郵便局長は、原告北川敏雄に対し、被告芦屋郵便局長は、原告長綱弘志に対し、被告長田郵便局長は、原告中村義彦及び同木本和宏に対し、被告高砂郵便局長は、原告三木謙吾に対し、被告三田郵便局長は、原告仁田勇に対し、被告神戸中央郵便局長は、原告宮本弘志に対し、それぞれその勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
(第四八号事件)
一 被告大阪城東郵便局長は、原告井筒隆夫、同河野守、同児玉誠一、同鈴木勝泰、同高橋伸二、同広田秀夫及び同弓削利之に対し、被告吹田郵便局長は、原告中田良雄に対し、被告神戸中央郵便局長は、原告竹内豊夫に対し、被告東灘郵便局長は、原告大澤靖志に対し、被告京都北郵便局長は、原告一井不二夫に対し、被告山科郵便局長は、原告伊藤雅啓、同下司浩及び同鈴木幸夫に対し、それぞれその勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
二 被告国は、原告らに対し、別紙一覧表各原告氏名欄記載の原告に対応する減額金合計額欄記載の各金員及び平成四年八月一日以降同原告らが在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の各金員を支払え。
三 被告国は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成四年八月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第二六号事件)
一 被告豊中郵便局長は、原告家門和宏に対し、被告伏見郵便局長は、原告酒井満に対し、被告加古川郵便局長は、原告浜田和二に対し、被告灘郵便局長は、原告平田秀子に対し、被告京都簡易保険事務センター所長は、原告藤原正美に対し、被告東灘郵便局長は、原告増田兼一に対し、被告左京郵便局長は原告山本晃に対し、それぞれの勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
二 被告国は、原告らに対し、それぞれ別紙一覧表各原告氏名欄記載の原告に対応する一か月減額金欄記載の各金員及び平成五年五月一日以降同原告らが在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の各金員を支払え。
三 被告国は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成五年五月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第五七号事件)
一 被告吹田千里郵便局長は、原告今川治、同浦崎香、同瀬川勝、同仲井幸生及び同山下伸生に対し、被告豊中郵便局長は、原告小田諭、同笹部昌己、同濱田佳美、同東本栄次郎、同堀川明伸及び同松岡幹雄に対し、被告西宮東郵便局長は、原告折口晴夫に対し、被告長田郵便局長は、原告角山徹に対し、被告西陣郵便局長は、原告三枝一雄に対し、被告姫路郵便局長は、原告横尾脩一に対し、それぞれその勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
二 被告国は、原告らに対し、それぞれ別紙一覧表各原告氏名欄記載の原告に対応する一か月減額金欄記載の各金員及び平成六年五月一日以降同原告らが在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の各金員を支払え。
三 被告国は、原告らに対し、各五〇万円及びこれに対する平成六年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第七一号事件)
一 被告神戸中央郵便局長は、原告冨田康夫に対し、その勤務中氏名札を着用する旨の職務上の命令を発してはならず、かつ、氏名札の不着用を理由として、注意、訓告をしてはならない。
二 被告国は、原告冨田康夫に対し、別紙一覧表一か月減額金欄記載の金員及び平成六年九月一日以降同原告が在職の間、毎月一八日限り、同表一か月減額金欄記載の金員を支払え。
三 被告国は、原告冨田康夫に対し、五〇万円及びこれに対する平成六年九月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第四〇八九号事件を除くその余の事件の被告局長らに対する予備的請求)
原告荒木輝男、同大沢俊郎、同塩浜勇、同長綱佳代子、同室垣哲男、同山内充江、同山田正博及び同平田秀子は、被告灘郵便局長に対し、原告竹中昭矩及び同妻鳥伸三は、被告高槻郵便局長に対し、原告山田昌平及び同酒井満は、被告伏見郵便局長に対し、原告横川出、同伊藤雅啓、同下司浩及び同鈴木幸夫は、被告山科郵便局長に対し、原告多田善則、同梅津始及び同山本晃は、被告左京郵便局長に対し、原告梅村久基及び同三枝一雄は、被告西陣郵便局長に対し、原告藤原正美は、被告京都簡易保険事務センター所長に対し、原告稲岡次郎、同中塚俊雄及び同横尾脩一は、被告姫路郵便局長に対し、原告牛尾近次、同本多敏美及び同浜田和二は、被告加古川郵便局長に対し、原告北川敏雄、同大澤靖志及び同増田兼一は、被告東灘郵便局長に対し、原告長綱弘志は、被告芦屋郵便局長に対し、原告中村義彦、同木本和宏及び同角山徹は、被告長田郵便局長に対し、原告三木謙吾は、被告高砂郵便局長に対し、原告仁田勇は、被告三田郵便局長に対し、原告宮本博志、同竹内豊夫及び同冨田康夫は、被告神戸中央郵便局長に対し、原告下司明、同藤田圭右、同森本英夫、同村山晃及び同中田良雄は、被告吹田郵便局長に対し、原告一井不二夫は、被告京都北郵便局長に対し、原告井筒隆夫、同河野守、同児玉誠一、同鈴木勝泰、同高橋伸二、同広田秀夫及び同弓削利之は、被告大阪城東郵便局長に対し、原告家門和宏は、被告豊中郵便局長に対し、原告今川治、同浦崎香、同瀬川勝、同仲井幸生及び同山下伸生は、被告吹田千里郵便局長に対し、原告小田諭、同笹部昌己、同濱田佳美、同東本栄次郎、同堀川明伸及び同松岡幹雄は、被告豊中郵便局長に対し、原告折口晴夫は、被告西宮東郵便局長に対し、それぞれその勤務中氏名札を着用する職務上の義務がないこと並びに氏名札の不着用を理由として、警告、注意、訓告及びその他の処分をされない地位にあることを確認する。
第二 事案の概要
本件は、郵政省の職員である原告らが、その所属する各郵便局の郵便局長及び京都簡易保険事務センター所長(以下、一括して「被告局長ら」という。)から氏名札の着用を義務づけられたのに対し、これを拒否したところ、右拒否を理由に、被告局長らから訓告を受け、これによって、定期昇給時に昇給号俸から一号俸減ぜられるとともに、被告局長らから氏名札着用の職務命令、注意を受けているところ、原告らは、被告局長らの右行為が違法であるとして、被告国に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右減ぜられ、あるいは将来減ぜられるであろう賃金相当額及び慰謝料の損害賠償を求めるとともに、被告局長らに対し、主位的に氏名札着用の職務命令、注意及び訓告の差止めを、予備的に氏名札着用に関する職務上の義務不存在等の確認を求めた事件である。
一 争いのない事実及び証拠により認められる事実
1 原告らは、いずれも郵政省の職員として、別紙一覧表局名等欄記載の各郵便局等に勤務している。
2 近畿郵政局においては、「近畿郵政局長達第五九号」(乙第一号証の1・2、以下「達」という。)を受けて、達制定当日の平成二年五月二四日、人事部長等の連名による「氏名札の着用について(局人考第一三九六号)」通達(乙第二号証、以下「通達」という。)を発出し、近畿郵政局管内(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、滋賀県及び和歌山県)の各郵便局長等に対し、職員に氏名札を着用させるよう指導し、別紙一覧表局名等欄記載の郵便局等の局長らは、原告ら所属職員に対し、勤務時間中の氏名札着用を義務づけた。
3 原告らは、被告局長らから、氏名札着用の職務命令や注意を受けたが、これに応じず、氏名札着用を拒否していたところ、別紙一覧表訓告年月日欄記載の日に、訓告を受けた(ただし、第二六号事件原告増田兼一に対する平成四年一〇月二六日の訓告が氏名札不着用を理由とするのか否かについては争いがある。)。
4 郵政省人事局長通達「昇給の欠格基準について(昭和四四年三月一五日郵人給第七二号の四)」(乙第五号証)には、引き続く一年以内において三回以上訓告を受けた場合は一号俸が定期昇給から減ぜられる旨規定されていた。そして、右通達は、大臣官房人事部長及び大臣官房経理部長連名による依命通達「定期昇給等の実施について(平成四年三月三一日郵人要第九六号)」(乙第一五号証)に整理統合されたが、右平成四年の通達には、引き続く一年以内において三回以上訓告を受けた場合は一号俸が定期昇給から減ぜられる旨規定されている。
原告らは、右各通達により、平成三年四月一日(第四〇八九号、第一〇二〇二号事件)、平成四年四月一日(第四八号事件)、平成五年四月一日(第二六号事件)及び平成六年四月一日(第五七号、第七一号事件)の各定期昇給時に、それぞれ昇給号俸数から一号俸減ぜられた(その金額は、原告ら主張の一か月減額金額と同じ。)。
5 原告らは、氏名札着用について、被告局長らから、職務命令、注意、訓告を受けている。
二 主たる争点
1 原告らの被告局長らに対する氏名札着用の職務命令の差止め及び注意、訓告の差止めを求める訴え(主位的請求に係る訴え)は適法か。
(被告局長らの主張)
(一) 行政庁に対して不作為を求める訴えが適法であるためには、当該行政庁において対象となる行政処分をなすべからざることが一義的に明白であること、行政庁の判断に先立って司法審査を認めないことによる損害が大きいこと、他に適切な救済方法がないことの各要件が充足される必要がある。
(二) 原告らの主位的請求に係る訴えは、右各要件を充たしていないから、いずれも不適法であり、却下を免れない。
(原告らの主張)
(一) 被告局長ら主張の要件を必須の訴訟要件とすべき論理的必然性はなく、被告局長らの主張は、差止訴訟が認められる範囲を著しく狭めるものであって、不当である。
(二) 殊に、本件においては、これまでに訓告等が頻繁に行われ、被告局長らが将来もこのような処分を継続して行うことが明らかであって、改めて行政庁の判断を経由するまでもなく、行政庁の第一次的判断権が既に行使されたに等しい状況にあるというべきであるから、差止請求を否定する理由はない。
2 原告らの被告局長らに対する氏名札着用に関する職務上の義務不存在等の確認を求める訴え(予備的請求に係る訴え)は適法か。
(被告局長らの主張)
(一) 右訴えは、原告らが、被告局長らに対し、それぞれ勤務中、氏名札を着用する職務上の義務がないこと並びに氏名札の不着用を理由として警告、注意、訓告及びその他の処分をされない地位にあることの確認を求めるものであるところ、被告局長らは、一行政庁にすぎず、右権利義務確認の主体たり得ないものであるから、原告らの右訴えは不適法である。
(二) 仮に、右訴えが抗告訴訟たり得るとしても、具体的、現実的な争訟の解決を目的とする現行訴訟制度の下においては、義務違反の結果として将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけでは、その処分の発動を差し止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然に許されるわけではなく、当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質及びその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容又は性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟の中で事後的に義務の存否を争ったのでは、回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなど、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合でない限り、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることができない。
(三) 右予備的請求に係る訴えにおいては、右の特段の事情があるとは到底認められないから、原告らの右訴えは、訴えの利益を欠き不適法である。
(原告らの主張)
被告局長らの右主張は争う。
3 原告らが所属する郵便局等の被告局長らが原告らに対して行った勤務中氏名札の着用を命ずる職務命令の発出及びこれに引き続きなされた注意、訓告は、不法行為を構成するか。
(原告らの主張)
被告局長らの行為は、次のとおり違憲、違法であるから、不法行為を構成する。
(一) 権利侵害
氏名は、個人の情報であって、氏名を他人に開示するよう強制することは、憲法一三条で保障されたプライバシー権、人格権の侵害である。すなわち、人は、氏名権の一内容として、氏名の排他的、独占的使用の利益があることは明らかであるが、これと表裏の関係として、みだりに氏名を公表されない権利(利益)あるいはその意に反して氏名の公表を強制されない権利(利益)を有しているというべきである。被告局長らによる氏名札着用の強制は、原告らの右権利を侵害する行為である。しかも、氏名札の着用は、原告ら郵政省職員に、他人から氏名を悪用されたり、個人攻撃を受けたり、差別を受ける契機となる危険をもたらすのである。
(二) 合理的理由の不存在
原告らは、入局以来長年にわたって、氏名札の着用を強制されたことはなく、現に着用してこなかった。
職種、部署、業務内容を問わない氏名札の一律強制着用は、明らかに合理的理由がない。
(三) 職権濫用
一律の強制及び訓告等の懲戒は、郵政省において日増しに強まっている強圧的な労務管理政策の一環であり、当局が不合理な服従を強い、職場における労働組合員、労働者としての自覚や労働組合の団結意識を弱体化せんとするもので、熱心な組合活動家である原告らに対する弾圧の意味合いが強い。それも、職員を納得させるような合理的説明をすることもなしに強行されているばかりでなく、訓告の懲戒が極めて不平等、恣意的に行われている。その上、氏名札を着用しないという不作為の継続行為に対し、訓告の懲戒を短時間のうちに繰り返して、賃金の実損を余儀なくさせるといった強制の仕方は、余りにも不合理で、職権濫用もはなはだしい。
(四) 違憲、違法性
以上のとおり、被告局長らが原告らに対し、一律に氏名札の着用を強制し、かつ、訓告を短時間のうちに繰り返し行って、賃金の実損を余儀なくさせた措置は、憲法一三条に違反し、かつ、職権を濫用する不合理な行為であって、違法である。
(五) したがって、被告国は、被告局長らの行為につき、原告らに対し、国家賠償法一条一項による責任を負うべきである。
(被告らの主張)
被告局長らの行為は、次のとおり正当であって、不法行為を構成しない。
(一) 郵政事業の特質
郵便、為替貯金、保険年金等の郵政事業は、廉価な料金で、公平かつ確実に役務を提供し、国民の経済生活の安定や公共の福祉の増進を目的とするという高度の公共性を有する反面、民間業者との競争や環境条件の急激な変化に基づき、経営の効率化やサービスの向上、改善が課題とされている。
殊に、原告らが所属する近畿郵政局管内の業績は低迷しており、その向上を図るためにも、全職員が一体となって対処する必要があり、氏名札の着用も、そのような趣旨に基づくものである。
(二) 氏名札着用の必要性と合理性
(1) 氏名札の着用は、質の高いサービスを提供して、利用者である国民の信頼を獲得すること及び職員の自己規律、職責の自覚、職員間の連帯感の醸成、職場の秩序維持等組織運営の改善、充実を図ることを目的とし、右目的を実現するための有効な手段の一つである。そして、その趣旨を全うさせるためには、全職員が一体となって取り組む必要があるから、氏名札着用の職務命令が正当かつ合理的な理由に基づくことは明らかである。
(2) 各郵便局等においては、達や通達が発出される前から、所属職員に氏名札を着用するよう指導しており、氏名札着用は、各郵便局等における基本的方針であった。しかし、各郵便局等の取組みには差異があり、着用状況も充分ではなかったため、達及び通達により、統一的な指導を行うこととしたのである。
(3) 被告局長らは、達及び通達の発出を受けて、服務統督権に基づき、氏名札の着用を職員に義務づけ、その趣旨、目的、必要性等を周知徹底させた。その結果、職員のほとんどが氏名札を着用するようになったが、原告ら一部の職員が右指導に従わなかった。そのため、被告局長らは、原告らに対し、個別に氏名札を着用するよう指導したが、これに応じなかったため、被告局長らは、原告らに対して、警告、注意や訓告の処分をしたのである。
(三) 原告らの主張に対する反論
(1) 氏名は、身分関係の公証制度としての戸籍に記載された公称であり、個人の識別のため各人が持つことを義務づけられているもので、専ら公的な事項に属し、一般の人に知られないことが予定された私的な事柄ではない。また、一般人の感受性を基準にしても、氏名を他人に知られることによる不快感は、仮にあったとしても、極めて微弱である。したがって、氏名札の着用によって、法的救済に値するほどの利益侵害があったとはいえない。
(2) 氏名札の着用は、勤務時間内に限られ、職務遂行中原告らに課せられる国家公務員としての公法上の義務の内容及び郵政業務の性質に照らせば、氏名札の着用は、充分な必要性と合理性がある。
(3) 原告らは、被告局長らによる処分は、恣意的かつ不公平で、熱心な組合活動家である原告らに対する弾圧の意味合いが強い旨主張するが、原告らの多くが加入している全逓信労働組合等の労働組合は、氏名札着用に対し、組織的に反対しているものではないし、原告らの中には労働組合に加入していない者もいる。また、各郵便局等の特殊性から、氏名札着用状況に若干の差異が生じているが、各郵便局等は、いずれも達や通達に基づいて指導しており、基本的な考え方に差異はない。
(四) 以上のとおりであって、被告局長らの行為には、正当な理由があって、何ら違法ではないので、被告国に不法行為が成立すべき余地はない。
4 原告らの被った損害額如何。
(原告らの主張)
原告らは、一年以内に三回以上の訓告を受けた結果、毎月、別紙一覧表一か月減額金欄記載の金額を減額されるという財産的損害を被り、かつ、氏名札着用の強制及び訓告を受けたことにより、精神的損害を被ったが、これを慰謝するには、各五〇万円が相当である。
(被告国の主張)
原告らの右主張は争う。
第三 証拠
本件記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四 主たる争点に対する判断
一 原告らの被告局長らに対する氏名札着用の職務命令の差止め及び注意、訓告の差止めを求める訴えは適法か。
1 原告らの右訴えは、いわゆる無名抗告訴訟に該るというべきところ、右訴えについては、原告らが差止めの対象とする被告局長らの行為のうち職務命令及び注意の各処分性の有無などの問題があるが、この点を暫く措くとしても、このような訴えが適法とされるには、当該行政庁においてその対象となる行政処分をなすことが一義的に明白であること、行政庁の判断に先立って司法審査を認めないことによる損害が大きいこと、他に適切な救済方法がないことの各要件が充足される必要がある。
2 確かに、後記のとおり、被告局長らは、各郵便局等において、氏名札着用の指導方針を掲げており、今後も右方針に基づいて、氏名札着用の指導を行ったり、職務命令を発したりすることが予想されるのではあるが、各郵便局等における注意、訓告の実態は必ずしも等しいものではなく、今後どの程度の頻度で注意や訓告が行われるかを確実に予想することは困難である。さらに、右注意、訓告により原告らが被る損害の主要なものは、定期昇給の減額であって、このような金銭的な損害については、損害賠償請求訴訟等による事後的な救済が比較的容易であるといえるのである。
3 右の事情に鑑みれば、原告らの右主位的請求に係る訴えは、前記適法要件を充たしていないことが明らかというべきであるから、不適法であり、却下を免れない。
二 次に、原告らの予備的請求に係る訴えの適法性について、検討する。
1 右訴えは、被告局長らを被告として、原告らが勤務中、氏名札を着用する職務上の義務がないこと並びに氏名札の不着用を理由として警告、注意、訓告及びその他の処分をされない地位にあることの確認を求めるものであるが、右訴えについても、主位的請求に係る訴えについて述べたのと同様、被告局長らの職務命令及び注意の各処分性の有無などの問題があるが、仮に、そのような地位の存否の確認が許されるとしても、被告局長らは、一行政庁にすぎないのであるから、当該法律関係等の主体たり得ず、したがって、右訴えにおける被告適格を有しないといわなければならない。
2 また、仮に、そのような訴えが無名抗告訴訟の一種として、許容される場合があるとしても、具体的な紛争の解決を目的とした現行訴訟制度の下においては、当該訴えが適法とされるためには、義務違反の結果として将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけでは足りず、当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質及びその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容又は性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟の中で事後的に義務の存否を争ったのでは、回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなど、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情があることを要するというべきである。
しかしながら、本件においては、前記のとおり、義務違反に対する制裁としての不利益処分が行われることが確実であるとはいえないし、また、右不利益処分がなされたとしても、原告らが被る主たる損害は、経済的なものであって、事後的な救済が可能なのであるから、右特段の事情があるとすることはできないので、右訴えを許容すべき余地はない。
3 よって、右予備的請求に係る訴えは、いずれにしても不適法といわざるを得ないから、却下を免れない。
三 原告らが所属する郵便局等の被告局長らが原告らに対して行った勤務中氏名札の着用を命ずる職務命令の発出及びこれに引き続きなされた注意、訓告は、不法行為を構成するか。
1 原告らは、氏名札着用の強制が憲法一三条で保障されたプライバシー権、人格権を侵害すると主張するので、以下、この点につき検討する。
(一)(1) まず、人格権との関係についてであるが、氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し、特定する機能を有し、戸籍に記載された公証力のある名称として、各人が保有することが義務づけられているものであるが、反面、これを個人の側からみれば、氏名が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であるとの面を有することもまた否定できない。そして、人がその意思に反して氏名を公表されたような場合には、精神的平穏が害されるなどの弊害が生じることは容易に推測できることに鑑みれば、人は、自らの氏名を公表するかどうかを決定する法律上の利益を有するというべきであり、これを氏名権と称するかどうかはともかくとして、何ら正当な理由もなく、氏名の表示を強制された場合には、人格権の侵害として、その個人に対する不法行為が成立する余地があることは否定できない。
(2) これに対し、被告局長らは、氏名が専ら公的な事項に属するとして、氏名札着用命令により原告らの権利が侵害されるものではないと主張する。
確かに、前記のとおり、氏名には、戸籍に記載された公証力のある名称としての公的な機能があるが、他方で、人の尊厳にかかわる私的な側面も併せ有するのであるから、右氏名の公的機能のみを根拠として、原告らの権利侵害を否定することはできず、被告局長らの右主張は採用しない。
(二)(1) 原告らは、さらに、氏名札着用の強制が原告らのプライバシー権の侵害であるとも主張するので、この点につき検討する。
(2) プライバシー権とは、他人に知られたくない事情をみだりに公表されないことを内容とし、法的保護が与えられるための要件としては、①公表された事柄が私生活上の事実または私生活上の事実として受け取られるおそれのある事柄であること、②一般人の感受性を基準として、当該私人の立場に立った場合に、公表されることを欲しないであろうと認められる事柄であること、③一般の人に未だ知られていない事柄であることが必要である。
(3) しかしながら、氏名は、前記のとおり、戸籍に記載された公証力のある名称であるとの機能を考慮すれば、一般の人に未だ知られていないとはいえないし、また、一般人の感受性を基準にしても、氏名を公表されることを欲しないとすることはできない。
よって、原告らの氏名札着用の強制が原告らのプライバシー権の侵害である旨の主張は採用しない。
(三) 右判示のとおり、正当な理由に基づかない氏名の公表の強制は、人格権の侵害として、不法行為を構成する場合があるというべきであるが、右正当な理由の有無の判断に当たっては、氏名を表示する目的や必要性、氏名表示の態様、原告らが氏名を表示することによって被る不利益の程度等諸般の事情を総合考慮する必要がある。
2 そこで、被告局長らが、原告らに対し、氏名札着用を義務づけたことの正当性の有無について検討する。
(一) 前記当事者間に争いのない事実、甲第一七号証、第二〇号証、第七五号証、第八九号証、第九二号証、第九八号証、第一〇三号証、第一二五ないし第一五四号証、乙第一号証の1・2、第二ないし第七号証、第八号証の1・2、第一二ないし第一五号証、第一七ないし第二二号証、証人金田他喜男の証言、原告北川敏雄、同妻鳥紳三、同山内充江、同長綱佳代子、同一井不二夫、同長綱弘志、同本多敏美及び同今川治の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 被告国は、郵政省の下、全国に二万四〇〇〇余りの郵便局を設置し、独立採算制の下、郵政事業を営んでいるが、その主たる事業(郵政事業)は、郵便事業、為替貯金事業、保険年金事業である。しかしながら、右三事業は、郵便事業に関しては民間宅配業者との競合や競争原理の導入、高度化、多様化してきた電気通信メディアとの代替関係などの点において、為替貯金事業に関しては金融の自由化の一層の進展や預貯金金利の引き下げによる他の金融商品に対する人気、選好の高まり、あるいは郵便貯金の根幹をなしてきた非課税貯蓄制度の改定などの点において、保険年金事業に関しては低金利下における賃金の運用利回りの低下や急速な高齢化社会の到来、金融機関の垣根の低下などによる競争の激化などの点において、いずれも厳しい環境条件の中に置かれている。
(2) このような状況の下、郵政省では、昭和六二年一一月、郵政事業を活性化し、競争力を強化していくための方策の一つとして、効率化、合理化の推進による経営基盤の強化、サービスの改善、新商品の開発による需要の拡大、職員の意欲の高揚、能率の向上等を内容とするマンパワーの高揚を目的とした「郵政事業活性化計画」(乙第六号証)を策定し、具体的施策の推進を図った。
近畿郵政局は、郵政省の右施策を受け、同郵政局管内の郵便局長等に対し、職場の現状を的確に把握し分析を行った上で、営業活動の積極的な推進、国民利用者の要求にこたえる各種サービスの提供及び職員の意識変革等に資する具体的施策を、昭和六三年度から三年間を目処に実施するよう指導した(「郵政事業活性化計画の推進について(通達)」、乙第七号証)。
(3) ところで、そのころの近畿郵政局管内の業績は、他郵政局管内に比して、前記三事業とも低迷しており、近畿郵政局管内においては、これまでの業績低迷から脱却するため、全職員が持てる力を発揮し、当面する重要課題に対処していかなければならないことから、前記郵政事業活性化計画に基づく各種施策はもとより、すべての施策の基本を「国民利用者のために」と位置づけ、管内を挙げて取り組むこととした。
(4) 前記平成二年五月二四日付けの達及び通達による氏名札着用の義務づけも、前記郵政事業活性化計画と趣旨を同じくする施策の一環として行われたものであるが、その目的とするところは、公共性と効率的な事業運営の要請という郵政事業の特質を踏まえて、それに携わる個々の職員が自己の職責を自覚するとともに、利用者たる国民に対し、正確、迅速、親切、丁寧な、質の高いサービスを提供し、その信頼を獲得することにあった。すなわち、氏名札着用は、対外的には、利用者に対し、取扱者としての職員の氏名を明らかにすることによって、利用者の信頼を獲得し、より一層のサービスの向上を図るとともに、対内的には、組織運営に当たって、自己規律、職責の自覚、職員間の連帯感の醸成及び職場秩序の維持を図ることを目的としたものであった。
(5) なお、近畿郵政局管内の各郵便局等においては、達や通達と同様の目的から、既に、昭和三〇年代には氏名札の着用指導が行われていたが、この指導は、各郵便局長等の裁量に基づくものであり、指導の有無や状況、その徹底度は、必ずしも一律ではなかったし、職員の氏名札着用状況も充分なものではなかった。
そこで、前記郵政事業活性化計画が策定され、前記達及び通達の発出を契機に、氏名札着用の義務づけについても、近畿郵政局管内での統一的な指導を行うこととされた。
(6) 前記達及び通達に基づく氏名札着用の指導の結果、近畿郵政局管内においては、職員の大半が氏名札を着用するようになり(平成三年三月時点での着用率は、99.7パーセント)、着用していないのは、原告らを含め、僅かな職員にすぎない。
また、原告らの多くは、全逓信労働組合に加入しているが、右労働組合も、氏名札着用については、積極的には反対しておらず、右労働組合の組合員の多くは、氏名札を着用している。
(7) ところで、国家公務員である原告ら郵政省職員は、法令及び上司の命令に従う義務を負っている(国家公務員法九八条一項、郵政省就業規則五条二項)が、職員に対する服務統督権限は、郵政大臣から委任を受けた郵便局長等が有しており(国家行政組織法一〇条、郵政省設置法一二条、六条一項、九項、郵政省職務規程二条)、原告らに対する氏名札着用の義務づけは、被告局長らが右服務統督権限に基づいて行ったものでる。
被告局長らは、達及び通達を受けて、氏名札の着用を職員に義務づけるとともに、改めてミーティング等において、氏名札着用の目的、必要性等について、職員に周知指導を行い、その結果、職員の大半は、氏名札を着用するようになったが、原告らは、右指導に従わなかった。そこで、被告局長らは、原告らに対し、個別に氏名札着用の目的や必要性等を説明して個別に指導したが、原告らがこれに応じなかったため、より厳正な指導、措置を執る旨原告らに警告した。しかし、原告らは、それでも氏名札着用を拒否したため、郵便局長等は、原告らに対し、職務命令であることを示したうえでの警告を行い、さらに、注意、訓告と順次厳格な処分を行った。
なお、右訓告は、郵便局長等が部下職員の懲戒処分に至らない程度の義務違反に対して、これを戒め、注意を喚起するために、郵政部内職員訓告規程に基づいて行った処分であり、右注意は、「職員の過失処分について」と題する通達に規定された、部下職員の職務遂行上の改善向上に資するための制裁的実質を伴わない措置である。
(8) 近畿郵政局管内の郵便局等における氏名札の不着用者に対する指導や処分については、ある時期まで注意は行ったが、訓告処分には至らなかった例、処分がなされなかった例、同一年度に訓告処分を五回受けたにもかかわらず定期昇給が減ぜられなかった例なども散見されるが、これらは、各郵便局等の局情や他の改善を要する事項との兼ね合い、取扱上の過誤によるものであって、右定期昇給が減ぜられなかった例については、後日、是正措置が執られている。
(二)(1) 右認定の事実によれば、郵政省は、郵便事業の置かれた厳しい状況を克服し、事業の改善を図るため、対外的には郵便事業に携わる職員の氏名を明らかにすることにより、利用者である国民の信頼を獲得し、郵便事業の業績の向上を図るとともに、対内的には郵便局等の職員の自覚を促し、職員相互の連帯感の醸成、職場秩序の維持等を目的として、前記郵政事業活性化計画を策定し、職員に対して、氏名札着用の指導を続けてきた。そして、達及び通達が発出されたのを機に、近畿郵政局管内の統一的な指導として、氏名札着用が命じられたのであるが、右の経緯や当時の近畿郵政局の状況等に照らせば、右氏名札着用の指導は、その目的において、正当性があるというべきであるし、また、原告ら郵政職員が取り扱う職務が信書や貯金、保険等利用者のプライバシーや金銭の受渡しに関するものであり、氏名札の着用が、取扱担当者を明らかにするなど、利用者である国民の郵政事業に対する信頼を増大することが期待でき、右目的を実現するための一方法として、相応の効果があるといい得ることに鑑みれば、右目的実現のために氏名札着用という手段を採用したことも是認できるというべきである。そして、氏名札着用は、そのサービスの利用者である国民の意思を反映し、これに合致するものでもあるということができる(これは、乙第九号証の1ないし3及び弁論の全趣旨により認めることができる。)。
(2) さらに、達によれば、氏名札の記載事項が原則として局所名、課名、役職名、氏名(姓のみでも差し支えない。)とされていること(乙第一号証の1・2)、前記のとおり、氏名札の着用が義務づけられるのは勤務時間中に限られていること、達及び通達発出の相当前から氏名札着用の指導が行われていたこと、近時、民間企業や他の官公庁等においても、職員が勤務中ネーム・プレートを着用する例が増加していること(右は、乙第一〇号証、第一一号証の1ないし3により認めることができる。)に鑑みれば、氏名札着用の態様も相当であるし、一般人を基準としてみたとき、氏名札の着用による精神的な負担も、ごく僅少というべきである。
(3) もっとも、氏名札着用が職責の自覚や職員間の連帯感の醸成にどれほどの効果があるかを客観的に明らかにすることは困難であるし、また、内勤者のうち、通常直接利用者と接する機会のない者については、利用者の信頼の獲得という前記氏名札着用の目的の一つが欠けることになるから、職員の勤務内容や所属部署にかかわらず、氏名札着用を一律に義務づけたことが適当であったかどうかが問題とはなり得る。
しかしながら、氏名札着用による職責の自覚や職員相互の連帯感の醸成といった効果は、これを可視的に検証することが困難であるとしても、少なくとも、氏名札着用は、右の効果を上げるための一つの方法として観念できるし、相応の効果を期待することもできる。また、原告山内充江、妻鳥紳三、北川敏雄、今川治、長綱佳代子及び長綱弘志の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、郵便局等の各職場のいずれにあっても、内勤、外勤を問わず、程度の差はあれ、職員が利用者や部外者と接する機会があることが認められる。さらに、管理者は、職務命令の発出に当たって、ある目的を達するために、どのような命令をどの範囲の職員に対して発するかなどの点について、合理的裁量権を有するというべきであるところ、前記のとおり、氏名札着用は、そもそも、正当な目的に基づくものであり、かつ、それにより相応の効果を上げることも期待できること、また、内勤、外勤を問わず、程度の差はあれ、職員が利用者や部外者と接する機会があること、氏名札の着用による精神的な負担も、ごく僅少というべきであること等に鑑みるとき、被告局長らが内勤者のうちの直接利用者と接する機会の少ない者を含めた全職員に対して氏名札着用の職務命令を発したことも、合理的裁量の範囲内にあるというべきであるから、氏名札着用を一律に義務づけた被告局長らの措置は、是認できるというべきである。
(4) 以上判示の事情を考慮すれば、被告局長らが、原告らに対し、氏名札の着用を義務づけた措置は、正当というべきである。そして、氏名札着用に応じなかった原告らに対し、注意や訓告処分を行ったことについても、事前にミーティングにおいて、氏名札着用の趣旨や目的を知らしめていること、氏名札着用の指示に応じない原告らに対して、個別に指導を行っていること、訓告処分を行う前に、警告や注意をしていること、注意、訓告が内規に基づいたものであることや訓告という処分の性質など、いずれの点を考慮しても、被告局長らの措置には、何ら違法はないというべきである。
(三) これに対し、原告らは、氏名札の着用によって、原告らの氏名が明らかになり、他人に悪用されたり、個人攻撃や差別を受ける契機となる旨を主張するが、そのような事態は、氏名の表示に通常伴って発生するとはいえないから、右主張は失当である。
(四)(1) 原告らは、さらに、入局以来長年にわたって氏名札の着用を強制されたことはなく、また、職種、部署、業務内容を問わない氏名札の一律かつ強制的な着用は、合理的理由がない旨を主張する。
(2) しかしながら、前記判示のとおり、各郵便局等においては、達及び通達の発出の相当前から個別に職員に対する氏名札着用の指導が行われていたことに鑑みれば、これまで氏名札の着用が処分をもって強制されたことがなかったとしても、そのことから、直ちに氏名札着用の職務命令に合理的理由がないということはできない。
(3) さらに、前記のとおり、氏名札の着用を一律に義務づけたことも不当であるとはいえない。
(4) よって、原告らの右主張は採用しない。
(五)(1) 原告らは、氏名札の一律着用の強制が強圧的な労務管理政策の一環であり、当局への不合理な服従を強い、原告らの職場における自覚や労働組合の団結意識を弱体化させるものであるばかりでなく、合理的理由の説明もなしに強行され、訓告の懲戒が極めて恣意的、不平等に行われ、また、短時間のうちに何度も繰り返しなされるなど、原告らに実損を余儀なくさせるもので、職権濫用である旨を主張する。
(2) しかしながら、前記のとおり、氏名札の着用には、合理的な理由があり、その実施に当たっては、その目的及び必要性等について、十分な説明等をなしているところである。この点、原告らの、氏名札の着用が強圧的な労務管理政策の一環であり、当局への不合理な服従を強いるものである等の主張は、独自の見解に基づくものであって、これを認めるに足る的確な証拠はない。
また、前記のとおり、原告らの多くが所属する全逓信労働組合が氏名札着用に積極的には反対していないこと、右労働組合の組合員を含む職員のほとんどが氏名札を着用していることに照らせば、氏名札の着用が原告らの職場における自覚や労働組合の団結意識を弱体化させるものとすることもできない。
確かに、前記認定のとおり、各郵便局における氏名札着用の指導や注意、訓告処分の発令状況は、必ずしも一様ではなく、多少の不統一があったことは否定できないものの、そのような取扱いの差異が生じたのは、各郵便局等における特有の事情があったり、取扱上の過誤があったりしたためで、その是正措置が執られた例もある。さらに、氏名札着用の指導や注意を行い、これに応じない者に対しては処分をもって臨むことなど、各郵便局等の氏名札着用についての基本的考えや姿勢は、これを同じくしていたのであるから、各郵便局等における右取扱いが不統一であったとの一事をもって、被告局長らの懲戒処分が恣意的、不平等に行われたとすることはできない。また、原告らに対する訓告も、合理性を欠く程の短期間に繰り返しなされたとはいえない。
(3) 以上判示のとおり、原告らの右職権濫用の主張も、失当といわなければならない。
3 以上判示の次第で、被告局長らが原告らに対して行った氏名札着用を命ずる職務命令の発出及びこれに引き続きなされた注意、訓告は、正当かつ合理的な理由に基づくものであって、いずれも適法であるから、この点につき、原告ら主張の不法行為が成立する余地はない(なお、第二六号事件原告増田兼一は、平成四年一〇月二六日付け訓告が氏名札不着用を理由とするものであるとして、氏名札不着用を理由とする他の訓告とともに、右訓告の違法を主張するが、本件において、右訓告が氏名札不着用をも理由とするものであるとの事実を認めるに足る証拠はない。かえって、乙第一六号証によれば、右訓告は、同原告がユニフォームを正常に着用しなかったことを理由とするものであることが認められる。なお、甲第六一号証によれば、訓告の処分理由において、氏名札不着用とユニフォームを正常に着用しなかったことを明確に区別して記載していることが認められることに照らし、右訓告の処分理由が氏名札不着用の趣旨をも含むということはできない。仮に、右訓告が氏名札不着用をも理由とするものであるとしても、前判示のとおり、氏名札不着用を理由として訓告処分をすることは何ら違法でない。したがって、いずれにしても、同原告のこの点の主張は理由がない。)。
したがって、原告らの被告国に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当といわなければならない。
第五 結語
以上の次第で、原告らの被告国を除くその余の被告らに対する本件各訴えはいずれも不適法であるから却下し、原告らの被告国に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとして、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中路義彦 裁判官長久保尚善 裁判官井上泰人)
別紙<省略>